2015-09-18 第189回国会 参議院 本会議 第43号
八月二十七日の茨城県主催の戦没者追悼式で、遺族代表の豊島寛一さんは、憲法を都合よく解釈するのはこそくだ、国民の声に耳を傾け、謙虚に審議を行ってほしい、必要ならば手順を踏んで正々堂々と憲法を改正すべきだと述べました。遺族をこれ以上増やさないでほしいという御遺族の方々の訴えが高まっています。ここでいう御遺族とは、自衛隊の御家族を御遺族にしないでほしいという大きな声の広がりであります。
八月二十七日の茨城県主催の戦没者追悼式で、遺族代表の豊島寛一さんは、憲法を都合よく解釈するのはこそくだ、国民の声に耳を傾け、謙虚に審議を行ってほしい、必要ならば手順を踏んで正々堂々と憲法を改正すべきだと述べました。遺族をこれ以上増やさないでほしいという御遺族の方々の訴えが高まっています。ここでいう御遺族とは、自衛隊の御家族を御遺族にしないでほしいという大きな声の広がりであります。
ですが、ここに中川さんがいますけれども、太田寛一が出た地域というのは、まず、きちんとした核をつくるときに同一の面積にしようと。太田寛一というのは全農の会長までやった方であります。おまえのところは我慢して次だというふうなことを率先してやっていた。それで、今、いろいろな理念がいろいろなところから、ここのところも赤じゅうたんという魔力があるのかもしれないんですけれども、やはり魔力に負けない。
内閣府副大臣 中塚 一宏君 財務副大臣 五十嵐文彦君 財務大臣政務官 三谷 光男君 証人 浅川 和彦君 証人 西村 秀昭君 証人 石山 勲君 浅川証人補佐人 高橋 省君 西村証人補佐人 柳原 克哉君 石山証人補佐人 末岡 寛一君
復帰後の昭和四十七年九月には、栄野川盛勇さんが勤務先のキャンプ・ハンセン内でライフルで射殺され、昭和五十七年三月には城間孝栄さんが町内の墓地で今回と同じくセメントブロックで撲殺され、昭和五十八年二月には、タクシー運転手の目取真興栄さんがキャンプ・ハンセンの基地内でナイフで刺殺され、さらに昭和六十年一月には、前泊寛一さんが自宅で殺害されるという事件が発生しているのであります。
今、お手元に差し上げて見ていただいているのは、川崎に住んでいる宮田寛一さんという方が、こういう文楽の頭などで統一した図案の通常切手を出していただけると非常に楽しいし、また外国人も喜ぶのではないかということでつくったものです。
私ども防衛施設庁が現地の那覇の防衛施設局から受けている報告によりますと、去る一月十六日未明、沖縄県の北部にございます金武町というのがありますが、同町には在沖米軍の中の第三海兵師団のキャンプがございますが、その町内の前泊寛一さん、五十一歳の男性の方が自宅で就寝中に何者かに殺害され、現金が盗まれるという事件が発生いたしました。
最初に御指摘のありましたウラセでございますが、私ども職員が実際に報告された住所に参りましたところ、確かに先生御指摘の魚屋さんはございましたが、それはウラセの代表取締役浦瀬寛一氏所有のビルでございまして、その商店街に面している部分を魚屋さんに貸している、こういうことでございまして、会社はちゃんとその所有のピルの中にございましたし、常勤の役員、専従の職員もございました。
一回目、目黒区目黒本町四の二の八の代表取締役浦瀬寛一さん、皆さんがおっしゃるように割り当てしている。同社の電話番号をかけますと、ヨネハナという魚屋さんが出てくるのですよ。それで、四時ごろかけましたら、今魚屋忙しいからオレンジの話なんかわからない、こう言うのです。それで調査に行きましたら、和風の三階建での建物で、一階の店舗部分はもう魚屋さんになってしまっている。
水産庁次長 米澤 邦男君 通商産業省貿易 局長 花岡 宗助君 委員外の出席者 公正取引委員会 事務局経済部調 整課長 厚谷 襄児君 沖繩開発庁総務 局企画課長 野村 誠一君 沖繩開発庁振興 局振興第二課長 坂井 寛一君
塩飽 得郎君 警察庁警備局長 鈴木 貞敏君 北海道開発庁総 務監理官 大西 昭一君 北海道開発庁予 算課長 谷川 英夫君 環境庁長官官房 長 正田 泰央君 環境庁長官官房 会計課長 神戸 芳郎君 文部大臣官房長 宮地 寛一君
さらに、この被疑者らに募金を装う詐欺を指示しておりました、レインボー友の会の代表であります、大阪の豊中に住んでおります川村寛一、これが責任者でございまして、それと、幹部である片股敬昌という男がございます、この二人をそれぞれまた三月八日に通常逮捕しております。合計逮捕者は五人になりました。
○説明員(伊藤寛一君) お答えいたします。 まず基本的な認識でございますが、御案内のように昭和五十二年十一月に策定されました三全総におきましては「自然的、社会的、歴史的条件に沿って、居住環境を総合的、計画的に整備する」というのを基本的目標と掲げております。
環境庁大気保全 局長 山本 宜正君 環境庁水質保全 局長 馬場 道夫君 通商産業大臣官 房審議官 原田 稔君 事務局側 常任委員会専門 員 今藤 省三君 説明員 国土庁計画・調 整局総務課長 伊藤 寛一君
二瓶 博君 農林水産省畜産 局長 杉山 克己君 農林水産省食品 流通局長 犬伏 孝治君 林野庁長官 藍原 義邦君 水産庁長官 森 整治君 水産庁次長 恩田 幸雄君 分科員外の出席者 沖繩開発庁振興 局振興第二課長 坂井 寛一君
新興というのは新潟県の田野寛一先生がつくられた二十世紀の偶然の実生らしゅうございます。そして、たくさんの子をつくりましたけれども、それを長年にわたって選抜しまして、その品種か偶然に——私、土地かないものですから、ある学校のところで、先生がここを使って少しやれと言われましたので、やらせてもらっておりました。ちょうどかきねの縁に一番いいのがあったのです。
山岡 一男君 委員外の出席者 大蔵省主税局税 制第一課長 矢澤富太郎君 農林大臣官房企 画室長 佐野 宏哉君 通商産業省立地 公害局工業再配 置課長 有岡 恭助君 通商産業省機械 情報産業局電子 政策課長 伊藤 寛一君
黒田暁、山本寛一、石塚一郎、田坂盛夫、江口利夫、内山實人、釜賀一夫、川崎丑之助。平川満。これも現在併任でいると思うのですが、陸幕二部別室長付、一佐ですね。内閣調査官になっています。南村国雄。ずっとありますが、陸幕二部から、あるいは二部別室から内閣調査官、調査室室員あるいは内閣調査官として出ているというのが、ずっとここに出ているわけですね。大体二名くらいずついつも出ています。
局経済協力第一 課長 谷村 昭一君 外務省アジア局 外務参事官 大森 誠一君 外務省経済協力 局外務参事官 菊地 清明君 大蔵省銀行局特 別金融課長 山田 幹人君 通商産業省産業 政策局国際企業 課長 伊藤 寛一君
外務省情報文化 局文化事業部長 堀 新助君 文部省大学学術 局大学課長 大崎 仁君 文化庁長官官房 国際文化課長 角井 宏君 水産庁海洋漁業 部審議官 米澤 邦男君 通商産業省産業 政策局国際企業 課長 伊藤 寛一君
これが間違いないということでありますが、それで昭和四十六年十二月九日、東北開発審議会会長平井寛一郎名でもって内閣総理大臣佐藤榮作殿、総理大臣あてに「昭和四十七年度東北開発重点事業予算に関する建議」という建議がなされております。それから同じ会長名で総理大臣あてに「東北地方の大規模畜産基地の形成に関する建議」という建議がなされております。
この豊平郵便局の局長は当時は小路口、それから庶務会計課長が扇子竹雄、貯金課長が仲田寛一というのですが、この小路口さんと扇子さんという方については御記憶ございますか。